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経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く/牧野邦昭



猪瀬直樹氏が書いた『昭和16年夏の敗戦』という書籍があります。

昭和15年に創設された「総力戦研究所」で昭和16年夏、机上演習を行い「日本は海上輸送力の麻痺によって戦争遂行が不可能になる」と結論を出しものの、上層から国策に反すると判断され、その結論は握りつぶされた、と論じた本です。

本書のタイトルにある秋丸機関の「幻の報告書」も、同じような結論を出し、報告書自体がすべて焼却されたと言われてきました。

しかしこの通説には疑問があります。著者はこの疑問を解明する中で、さらに大きな問題に仮説を提示していきます。

<目次 >
第1章 満洲国と秋丸機関
第2章 新体制運動の波紋
第3章 秋丸機関の活動
第4章 報告書は何を語り、どう受け止められたのか
第5章 なぜ開戦の決定が行われたのか
第6章 「正しい戦略」とは何だったのか
第7章 戦中から戦後へ


「秋丸機関」とは、昭和15年初頭、満州国で経済建設に深く関わった秋丸次朗を陸軍省に呼び戻して設立されました。「経済戦」のために、日本及び英米独ソの経済分析(国力分析)を目的としています。

驚くのは、治安維持法違反容疑で起訴釈放中だった有沢広巳をメンバーに引き入れます。集まってきた面々の中には有沢に連なる人脈も多く、当時の見方からすれば「左翼」「赤」と呼ばれるような人々に研究をさせています。

さらに秋丸は、「あなたは迎合したことを書いてはいけない。あなた自身が本当に考えていることを、真実を書いてくれ」と有沢に言います。

ここまで来ると陸軍のイメージも少しは変わるかもしれません。非常に合理的で、精神論で片をつけるような組織風土とは思えなくなります。実際、丸山眞男はこう述べています。

海軍や陸軍というのは、もともと組織的に頭のいいのがいたというせいもあるけれど、よほど合理的だったのではないかな。変な学者や、ファナティックな右翼はもちろん、便乗学者というのはあまり信用しない。そういう一種の直感みたいなものは持っていたのではないかなあ。(p3 元の出典は『定本 丸山眞男回顧談(上)』)

研究の重点は「戦時体制下に於ける各国民経済の脆弱点の解明」に置かれました。時代を考慮すれば当然で、敵国の脆弱点は攻撃の要所になり、自国および同盟国の脆弱点は、戦争の困難さを指摘するものになります。

研究は、日本の国力研究の他、『英米合作経済抗戦力調査』『独逸経済抗戦力調査』『蘇聨邦経済抗戦力調査』としてまとめられます。結論は「英米両国と戦争をすれば、ほとんど勝ち目がない」という、総力戦研究所が出したものと同じでした。

こんな結論は国策に反するから秘匿された、という通説は嘘であるということを本書は明らかにしています。いくつも傍証がありますが、ひとつは、この機関に参加したメンバーが、この結論を導く過程で用いた数字を一般人も読める論壇誌に発表していることです。無論、日本が必敗だとは書いていませんが、国力の差は多いこと、よって戦争をすることの困難さは明記されています。それに検閲が入っていません。つまり、こうした説は当時の軍部首脳にとって常識的な結論だったと言えます。

実は本書の最大の目的は、
「なぜほぼ正確な情報を持ち、合理的に考えることのできた指導者たちが、無謀な戦争に突入していったか」
を明らかにすることにあります。

秋山機関の結論の中には、どうなれば勝利できるかを論じている部分もあります。
「ドイツが対ソ戦に短期のうちに勝利し、ソ連の生産力をドイツのものとし、とって返してイギリスを屈服させ、英米間の海上輸送を封鎖し、その間に日本が東南アジアのイギリス領オランダ領を占領し国力を増進させれば、国民が戦争を忌避していたアメリカに厭戦気分が蔓延して講和に応じるかもしれない」
という、仮定の上に仮定を重ねた、ほとんど可能性のない手でした。

しかし結局、その選択を日本はします。なぜ無謀とわかっていたはずなのにそんな選択をしたのか。

一つの仮説を示しています。それが本書の肝なので知りたい方は手に取ってみてください、ということですが、仮説を立てる上で援用したのは、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学のリスキーシフトでした。といえば、わかる方もいるのではないかと思います。

僕は昔から不思議に思っていたことがあります。謀略史観を語る人たちが
「日本はルーズベルトに誘導された。コミンテルンに騙された。だから戦争を始めた」
というのですが、当時の日本の指導者はそんなに馬鹿だったのか。明治の元勲とは比べられないにしても、そこまで馬鹿ではないだろうと考えてきました。

本書を読めば、馬鹿ではないことははっきりとわかります。しかし、頭がよくて合理的に考えることができる人たちの集団でも、いや、そうであるが故に、大きな間違いを犯すことがあるのでと思いました。

これは過去の話でもなければ政治の話だけでもありません。集団指導体制と言えば聞こえがいいですが、最終意思決定者がはっきりせず、あいまいに集団意思決定をしてしまいがちな日本の組織は、時として組織全体でリスクのある選択肢を選んでしまうことがあります。いまの日本企業のそこかしこで見られる景色です。

だから、組織に関わるビジネスパーソンこそ本書を読んで欲しいと思います。自分ごとに引きつけると、ぞっとするかもしれません。