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田村の〈本音で迫る文学史〉/ 田村秀行



1995年に受験参考書として書かれたものです。

著者は80年代から90年代にかけて代々木ゼミナールで教壇に立ち、『田村の現代文講義』で一世を風靡した田村秀行さん。僕にとっては浪人時代の師匠にあたる人です。

僕自身は田村さんから文学史を習ったことはありません。現代文だけです。ただ、講義の題材が文芸論だったときなどに、文学史的な知識も教わりました。そして知識以上に、日本近代文学についての見方を教えてもらいました。

非常にユニークな視点だった記憶があります。僕の文学的嗜好の一部は確実に彼によって作られたと思います。ですから、「文学史」としてまとまったものがあるのなら読んでみたいとかなり前から思っていました。

最近、『古文の読解』『古文研究法』『新釈 現代文』など往年の受験参考書の名著が、ちくま学芸文庫から復刊しています。この本もそんな流れに乗らないかと期待していたのですが、どうやらそんなことにはなりそうにない(苦笑) 仕方がないので古本で取り寄せてみました。

〈目次〉
Ⅰ 日本近代文学の流れ
Ⅱ 個別の文学
Ⅲ 余話

Ⅰでは明治20年以降の日本文学史の大きな流れを、Ⅱではその中で、作家個人や○○派など個別の解説が必要なことが書かれています。

これだけで、一般教養としての日本近代文学史は押さえられると思います。専門的に学ぼうとするのでなければこれで十分です。
その上で、Ⅲが秀逸です。田村さんの主観剥き出しで、さまざまなことに言及しています。

もともと教わっていたので当たり前といえば当たり前ですが、いくつか共感するとともに、納得することがありました。

ひとつは夏目漱石について。

僕は夏目漱石の作品をそれほど多く読んだわけではありませんが、初期の数冊を除くと、読んでいて息苦しさを感じました(『こころ』とかです)。

これについて田村さんは
「夏目漱石は、文学者というより哲学者である」
と断言していました。夏目のところには多くの弟子が集いますが、文学者として大成した人は誰もいない。寺田寅彦をはじめ、他の分野で名を成した人が多いのが、ひとつの証拠である、ということです。

そう考えると僕が感じていたことに納得がいきます。フランスの実存主義者であったカミュやサルトルが書いた小説と同じ匂いを感じていたような気がします。

それはそれで悪いことではなく、夏目漱石の小説は価値が高いものだと思います。漱石が偉大な小説家であること変わりません。しかし、漱石が日本文学を代表する人、主流になっていることの弊害はあると思います。

芥川賞と直木賞があることに象徴されるように、純文学と大衆文学を区分けすることがその典型です。小説には哲学的な深みが必要で、そうでなければ文学とは言えない。大衆小説、エンターテイメント小説を一段下に見る風潮が日本に根づいたのは、そのせいだと思います。別に漱石が悪いわけではなく、そう考えてきた我々が悪いのですが。

文学は純とか大衆とかに分けず、文学として語られるべきだと思っています。その意味で、漱石の文学史における位置づけは考え直した方がいいように思っています。

もうひとつ、小林秀雄について。

僕は小林秀雄の文章はとてつもなく読みにくいと思ってきました。どうして名文だと言われるかわかりません。これについて田村さんは
「小林秀雄はもともと詩人なので、必要な論理を飛躍させて書く癖がある」 といっています。

飛躍を読み解く面白さはあるし、内容に深みもあるので批評文学として一流ではあるけれど、文章を書く上でのお手本にしてはいけない、と大昔、講義で話されていたのを思い出しました。

僕が読んできた人でいえば、吉本隆明も詩人の出で、同じような傾向があると思います。吉本についてはそれを知っていたので、そう構えて読んでいました。しかし、高校の教科書で小林秀雄を読まされたときはそんなことは知りません(苦笑) それで毛嫌いして遠ざけてしまったように思います。わかって読めば違う感想もありえるのかもしれないので、1冊くらいは読んでみようかな、と思い始めています。

このような内容が、さまざまなテーマで語られています。「それは違う!」と思う人もいるでしょう。それを含め、新しい視点が手に入ると思います。日本近代文学に興味がある方は、取り寄せて読んでみてはいかがでしょうか。きっと面白い体験ができると思います。

そしてなにより、どこかの文庫で復刻されることを願います。