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ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)



昨年の9月に放送されたNHKEテレの「100分de名著『全体主義の起源』」のテキストになります。ハンナアーレントの主著である『全体主義の起源』は「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」の三部から構成されていますが、第1回から第3回までで一部ずつ解説しています。

全体主義は、一人の特異な独裁者によって生まれるものではありません。そうした独裁者はある種の役割を演じることが多いでしょうが、それがすべてではありません。ナチス政権が民主的な選挙で第1党になることで政権を獲得したことが象徴するように、全体主義は動員された「大衆」によって生み出されていきます。

「大衆」という日本語は、普通の庶民のような意味に感じられるかもしれませんが、英語では「Mass Man」になります。これはどちらかと言えばマイナスワードです。自分が置かれている状況の変化を把握できず、「分かりやすい」説明や世界観を安易に求める人々、といえばいいでしょうか。

現代日本も「Mass Man」のような人が増えているように感じます。なにも政治的な話をしているわけではありません。企業社会の中でも同じようなことが起きている思います。全体主義を生み出すMass Man=大衆とは、どんな存在か。どんな特徴があるのか。それを考える上では、第4回で取り上げられている『エルサレムのアイヒマン』がより参考になると考えています。

<目次>
【はじめに】今なぜアーレントを読むのか
【第1回】 異分子排除のメカニズム
【第2回】 帝国主義が生んだ「人種思想」
【第3回】 「世界観」が大衆を動員する
【第4回】 悪は「陳腐」である

アイヒマンはナチス親衛隊の中佐で、ユダヤ人虐殺計画を実務的に取り仕切る立場にあった人物です。戦後、アルゼンチンに潜伏していた彼をイスラエルのモサド(諜報機関)が見つけて強制連行し、エルサレムで公開裁判が行われました。

アーレントはこの裁判を特派員として取材します。しかしそこで彼女が目の当たりにしたアイヒマンは多くの人が想像し期待していた「いかにも悪人」然とした人物ではありませんでした。彼女が自著で伝えたアイヒマン像や裁判の実際は、人々のイメージを裏切るものでした。どうイメージと違っていたのでしょうか。

この本のサブタイトルは「悪の陳腐さについての報告」です。陳腐と訳された英語は「banal」、ありふれたとうか凡庸なという意味の形容詞です。つまりアイヒマンは、どこにでもいそうなごく普通の人間だったということです。

アイヒマンが繰り返し発言しているのは、上司の命令に従った、のみならず「法」に従った行動をしただけだ、ということです。

ナチスという、民主的な選挙によって第一党になって政権を獲得した権力が、内実はどうあれ、きちんと立法したことに従った。市民としての当然の義務を果たしたまでだ、というのが彼を貫いている論理でした。

これは当時の人々の期待を裏切るものだったでしょう。悪は非凡でなくてはいけないのです。そうでなければ「自分もいつ悪になるかもしれない」との問いを突き付けられるからです。

人が他人を心置きなく糾弾できるのは自分(あるいは自分たち)は「善」であり、彼(もしくは彼ら)は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。相手に悪を見出せなければ、攻撃する理由がないばかりか、問題の矛先が自分自身に向けられることにもなります。悪が自分たちと同「じどこにでもいそうな市民」だとしたら、自分もアイヒマンのような人間になる可能性がある、ということだからです。(p98)

しかし本当に悪は非凡で特異なものでしょうか。企業の不祥事、官僚のスキャンダルを見れば、その多くは、上司の命令に従った、組織の論理に従った、あるいは忖度をした結果です。

自分はそんなことはない、と言い切る人を、僕はほとんど信じません。人はそれほど強くはない。そして自分を納得させようとすればするほど、より強固に自分を縛るもの―アイヒマンで言えば、命令であり法である―に従おうとすると思うからです。

今の日本で起きている多くの問題、粉飾決算や書類の改ざん、破棄の問題は、アイヒマン問題とつながっていると考えています。「凡庸な悪」の問題を考えない限り、一部の人をヒステリックに責めても、逆に過剰に擁護しても、何も解決に向かわないと思います。

これだけでも世間の期待を裏切ったと言えるアーレントですが、さらにセンシティブな問題を提起します。ユダヤ人の移送に関してユダヤ人評議会が協力していたことに言及したのです。

これでユダヤ人社会を敵に回します。多くの友人を失ったそうです。しかし、その信念は曲げませんでした。

ユダヤ人社会や大戦後に建国されたイスラエルを覆っていた「ユダヤ人は誰も悪くない」「悪いのは全てドイツ人だ」というナショナリズム的思潮に目をつぶるという選択肢は、彼女にはありませんでした。そのような極端な同胞愛や排外主義は、ナチスの反ユダヤ主義と同じ構造だからです。(P102)

僕は一応、政治学を学んだ身で、その立場からいうとアーレントの研究のすべてに賛同できるとは思っていません。粗もあると思います。しかし、このときの姿勢、態度は本当に感服しています。孤立を恐れず、自分の信念と貫き通した点、なにより議論から逃げなかった点です。

人間は、自分とは異なる考え方や意見を持つ他者との関係の中で、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていました。多様性と言ってもいいでしょう 。(P100)

処世術を説いた自己啓発書には、議論は無駄だからするな、書かれているものを散見します。議論とも言えないような言いがかりを言って「はい、論破」と遁走する、馬鹿な自称識者は枚挙にいとまがありません、その結果、多少性がある社会と言いながら、お互いが小さな世界にこもって、互いに角突き合わせているだけの状況になっていると思います。

まっとうな議論があることで、自分にない視点を手に入れ、それによってより広い視野からものを見れるようになるのだと思います。議論のスタートは批判であることが多い。批判をすればリアクションもあります。それを恐れる気持ちは分かります。しかし、それを避けている限り、僕らの視野は狭いままで、よりよい社会は生まれない。

社会が良くなれば人は幸せになれる、なんて単純なものではないですが、社会が屑だとほとんどの人は幸せにはなれません。アーレントの姿勢から学ばなくてはならないことは多いと思いますし、今の時代だからこそ、より一層、学ばなくてはいけないのだと確信しています。


名著69 「全体主義の起原」:100分 de 名著ホームページ

<参考図書>
今回の指南役でもある、仲正さんのご著書です。
今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)



こちらの本も読みやすくて参考になります。
ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)



アーレントの原書に挑戦したい方はどうぞ!
全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
全体主義の起原 2――帝国主義 【新版】
全体主義の起原 3――全体主義 【新版】



そして、アーレントの生き方を知りたいなら、ぜひこの映画を。
『エルサレムのアイヒマン』が書かれた当時のことが描かれています。
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