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9月3日、日経ビジネスイノベーションフォーラム
あなたの会社、誰が継げば伸びますか?~成長を導く中小企業の後継者選びとは~
に参加してきました。

「事業承継」についてのセミナーだから参加したのですが、日本電鍍工業代表取締役・伊藤麻美さんの話を聞きたいと思ったのがきっかけでした。基調講演が伊藤さんでなければ、参加していたかどうかわかりません。

講演タイトルは
「経営経験ゼロからの事業承継」

実は、2009年4月に伊藤さんの話を聞いたことがあります。かなりインパクトがある話で、強く印象に残っています。あれから8年、伊藤さんの、日本電鍍工業のその後はどうなっているのだろう、との興味がありました。また、当時は「事業承継」について何もわかっていないころです。いま聞くと違って聞こえてくるのではないか、との想いもありました。

伊藤さんは、日本電鍍工業の創業者の一人娘として育ちます。会社を継ぐつもりはまったくありませんでした。お父様からもそんな話をされたことはないそうです。自宅は東京、工場は大宮。中小企業によくある、自宅と工場が隣接しているという環境でもありませんでしたから、会社に行ったこともほとんどなかったそうです。

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大学卒業後、ディスクジョッキーになり(確か、小林克也さんに弟子入りしたはず)、その後、宝石の鑑定士や鑑別士の資格を取得するためにアメリカに留学します。資格も取れ、アメリカでも就職もほぼ決まったとき、帰国依頼の連絡が入ります。

日本電鍍工業の経営が立ちいかなくなり、会社名義になっていた自宅を売却しなくてはならない。引っ越しをするので、荷物を動かしてくれ、という話でした。

お父様は彼女が23歳の時に急死されています。とても精力的で、起業した会社が軌道に乗るとその会社の社長職を人に任せ、次の起業に乗り出していくような方でした。ひとつの業態に頼り切ることのリスクも考えていたのでしょう。全体を統括する立場ではありましたから、最終判断は自ら下していて、問題なく会社は動いていました。

しかし、お父様が亡くなった後、社長を任せた方の経営がうまくいかず、業績は急下降していきます。

バブル崩壊と重なる時期、難しい問題はあったと思います。ただ、何もしないように見えたのは、会社に多大な資産があったからのようです。それを切り売りすれば当面はしのげる。そのうち状況も良くなるだろう、と思っているうちに、どうにもならない状況に追い込まれたのではないかと思います。

伊藤さんは、帰国して初めて、会社の状況を知ります。最初は監査役として、その後、取締役として会社に入ります。それはできるだけ穏やかに会社をたたむためでした。

しかし、会社に通い、社員と顔を合わせていくうちに、違う感情が生まれてきます。自分をここまで育ててくれたのはもちろん両親であるけれども、両親を支えてくれていたのは、会社で働いていた社員のみんなだ、と思ったのです。ここで会社を潰して、残ってくれている社員とその家族を路頭に迷わせるようなことをしていいのか。なんとか会社を存続させられないか。

そこで自分が社長になることを決断します。誰かプロの経営者がやってくれないかと思ったこともあったそうですが、一部の債権が整理回収機構に回っているような会社を引き受けてくれる人はいない。逡巡はあったでしょうが、自分がやると決めるのです。

しかし伊藤さんは、日本電鍍工業に勤めたことがないどころか、いわゆる企業で働いたことがありませでした。まさに「経営経験ゼロからの」スタートだったのです。多くの困難があったはずです。それでも3年目には黒字化を達成します。

ただ、利益と資金繰りは違います。入金サイトより支払いサイトが短いのが普通ですから、利益が増えたときは、短期的に資金繰りは悪化します。まして、日本電鍍工業には負の遺産がたくさんありました。黒字化後も3年間、資金繰りに苦しんだそうです。

そんな状況下、最初に政府系金融機関が手を差し伸べます。新規融資はできないが、返済を猶予しようと言ってくれました。そして新たなメインバンクとなる埼玉りそな銀行との出会い。セミナーで埼玉りそな銀行のトップと偶然隣になり、挨拶を交わしました。翌日には近くの支店の担当者があいさつに来て、その後、支店長も来社し、10年分の決算書を持ち帰ります。現状ではなく、将来性に融資をするということで、他行の借り入れを含めて借り換えが実現します。これは、金融円滑化法が施行されるはるか前、貸し剥がしが当たり前のように行われていたころのことです。奇跡に近い対応だと思いました。

こうして、苦境の乗り切り成長を続けています。それがどの程度か、数字でわかるわけではありませんが、昨年、大型の設備投資をしたということですから、今後も成長を見込んでいるのだと思います。

今回、あらためてお話伺い、いくつか感じることがありました。

よく社長になる決断をしたな、とは変わらず思いました。10億円以上の個人保証をするわけです。失うものは何もなかったから覚悟を決められたと言われていましたが、それでも、失敗した場合は自己破産をするしかなくなります。その覚悟を持てたことは、本当に凄いと思います。

逆に言うと、個人保証は必要なのかな、とも思います。昔は変わってきた部分もありますが、まだまだ中小企業が借入する場合、代表の個人保証を求められます。それで会社が破たんした場合、個人が返済できるなんてことはレアケースで、ほとんどは自己破産をすることになるのですが、そうすると金融機関もたいして回収できるわけではないでしょう。土地や建物を担保に入れているのはわけが違います。しかし、個人保証があるがゆえに後継者が決まらないことも多々あります。それで廃業となれば、非常にもったいない。中小企業の事業承継を促進し、廃業を減らし、次世代に日本の技術やサービスをつないでいくためには、この制度の見直しは必要だと感じています。

銀行の件に象徴されるように、出会い運が強い方だと思いました。ただ単に運が強いだけではないでしょう。未来に向けて全力でやっているから、それを理解してくれる人がいるから、こうしてサポートしてくれる人が現れるのだと思います。一生懸命やれば必ず素晴らしい出会いがあるとは言い切りませんが、努力をしなければ、出会いに気づくこともできない。また経営者の場合、その姿勢を社員は見ています。だから目の前のことを必死にやることが大切なんだと思いました。

あと一つ、後継者がこうした頑張ればいい結果を生むこともできるとはいえ、やはり経営者はつねに、事業承継のことを考えておかないといけないのだと思いました。嫌な話ですが、人はいつ死ぬかわからない。時期を特定しなければ致死率100%なわけです。自分がいなくなっても会社が存続して行ける方法を考え、示しておかなくてはいけない。それが経営者の使命なのだと思いました。

自分の会社に引き付けて書こうと思っていたのですが、生々しくなりすぎそうなので、控えておきます(苦笑) それはまた別な機会に。

それはそれとして、自分がこれからどんな形であれ事業承継に係るとき、今回の話は胸に刻んでおきたい内容だったことは間違いありませんでした。




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