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12月21日、93回目の八丁堀・まなび塾を開催しました。
今回は、年末でもあるので(ここ最近、毎年12月にやっている)僕がお話をさせてもらいました。

テーマは「憲法」。

本当は9月にやるつもりで準備していたものです。参議院選挙が終わって改憲議論の高まりが予想されていたので、議論を整理しておきたいなと思ったのがきっかけです。

まなび塾12月

僕は法学部出身ではないし、憲法を専門的に勉強したこともありません。それでも、政治経済学部の政治系のゼミにいましたから、憲法は避けて通れない課題だとおもってやっていました。だから、最低限の原則だけは理解しているつもりでいます。

今回は1時間弱、話をしましたが伝えようと思ったことは本当に最低限のことで、一言で言えば
「憲法は、国民から統治権力への命令である」
という原則につきます。このことを、言葉を変え、例を変え、繰り返しお話ししていただけだとも言えます。

この原則さえ踏まえれば、どんな議論があってもいい。どんな憲法が良いのかは人によって意見は違うでしょうから、議論をするのは当たり前です。ただし、この原則を踏み外した議論は、改憲議論のためには百害あって一利なし、そんなことを言う人は獅子身中の虫だと思っています。

「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」
なんて書いてある草案は、論外なのです。尊重し擁護する義務を負うのは、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員でしかあり得ません。

この議論をすると
「国民の義務を規定した条文があるじゃないか」
という話になりますが、それは誤解です。

たとえば、憲法における「納税の義務」は「納税の義務を課すような法律を作れ」という命令なのです。納税を不当に逃れる人間が出ないように、分相応に税金を払わなくてはならないように法律で決めろ、といっているのです。脱税で裁かれる人は憲法違反ではなく、憲法に基づいて作られている、各種税法によって裁かれるわけですから。

だから、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。 家族は、互いに助け合わなければならない。 」なんて憲法に書いてはいけないのです。道徳規範を憲法に書いてはダメなのです。明治国家が、教育勅語と大日本帝国憲法を分けていて理由を考えたほうがいいと思うのです。

というようなことを語らせていただきました。僕は改憲論者ですが、いま巷で言われている改憲論には辟易しているので、その点について補足的に話をしました。

こういう話題は集客が弱くて、どうしても健康ネタや投資ネタ、あるいは自己啓発ネタのほうが人は集まりやすい。それはそれで大事だと思いますし、思うからテーとして取り上げて会を続けてきたのですが、社会的、政治的なテーマも避けることなくやっていきたいと思います。

結局、いくら自己啓発をして自分を高めても、投資をして財産を築いても、健康になっても、社会がボロボロになれば意味をなさなくなる可能性があるからです。そして社会は、一人ひとりの意識の集まりによってつくられると思っているのです。

PS
2009年4月にスタートして、月1回の開催を重ね、93回目でした。目標の100回まであと7回。来年の7月には到達する計算です。そのときはなんかイベントを考えようかな。
次回は1月20日(金)の開催です。
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