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小泉今日子はなぜいつも旬なのか/助川幸逸郎



小泉今日子と僕は同い年である。彼女は早生まれ(2月)だから生まれた年は違うが、学年は同じだ。つまり50歳を迎えた。

若いころから彼女のファンだった。ただ、特別に意識をし始めたのは40歳を超えたころだと思う。40歳を迎えるのが楽しみだった、という彼女の言葉が引っかかった。普通、不安に思うでしょ。それも男よりも女の方が。強がりを言っているようにも見えなかった。それがなぜなのか、自分が歳をとっていくことへの漠然とした不安と重ね合わせながら、理由を知りたいと思った。

それから10年、理由を明確な言葉にすることはできないけれど、自分も50歳になるのは嫌ではなかった。先が見え始めたからこそ、楽しめることがある。そんな気がしている。

そう思えた理由はいくつかあるが、KYON2の影響も間違えなくある。この本を読むと、それを言語化できるかもしれない、という想いで手に取った。

〈目次〉
はじめに――小泉今日子の「謎」はどこにあるのか
第1章 小泉今日子が“女の子"に支持された理由
第2章 小泉今日子とオリーブ少女と森ガール
第3章 もしも『なんてったってアイドル』を松田聖子が歌っていたら
第4章 バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか
第5章 『あなたに会えてよかった』の「あなた」は誰か
第6章 「マウンティング」しないからアンチが少ない
第7章 小泉今日子にとっての「結婚」と「離婚」
第8章 小泉今日子はいかにして「36歳の危機」を乗り越えたか
第9章 美魔女はなぜ小泉今日子を目指さないのか?
第10章 小泉今日子はなぜ「負け犬」のイメージがないのか
第11章 「本当の自分」を探さない小泉今日子の強さ
第12章 「あまちゃん」のブレイクに小泉今日子が果たした役割とは
まとめ――小泉今日子に学ぶ7ヵ条

なんてったってアイドル』は、日本のアイドルシーンを変えてしまった歌だ。そして小泉今日子にはもっと売れた歌、評価の高い歌はあるけれど、彼女の代表曲と言えば、今でも真っ先にこの曲が上がる。

では、この『なんてったってアイドル』を他のアイドルが歌っていたらどうなっていただろうか。第3章のタイトルには松田聖子が例示されているが、たとえば、中森明菜が、松本伊代が、堀ちえみが、と想像してみたらどうなるだろうか。

当時を知る人なら、「それはあり得ない」と思うのではないだろうか。

著者の助川さんは『なんてったってアイドル』を歌っても受け入れられるアイドルの条件を次のように挙げている。
  • 誰からも有名アイドル歌手と認められていること
  • 露悪的な「ネタばらし」や「本音の告白」をしても許される「アバンギャルドなイメージ」があること
  • 自分がこれまで演じていたキャラが虚構だとみなされても人気を失わないこと
  • こう考えると、この曲を歌えるのは小泉今日子しかいないとわかるはずだ。髪をショートにしたり、自らを「コイズミ」と名字で呼んでみたり、と当時のアイドルにはなり前衛的なイメージを持っていたからこそ歌えたのである。
    しかし本人が積極的に歌おうとしたわけではない。

    「『また大人たちが悪ふざけして。これを背負わされるのかよ』って思いましたけどね(笑) 『ヤだなあ』って。」(『MEKURU VOL.07 (小泉今日子) 』より)
    同じような意味のことはさまざまなところで繰り返し語っている。

    一方で、
    「客観的に見て『この曲を歌えるのは私だけだろう』っていう自信はあったし、そういう”周囲の期待”を感じてはいた」(日本経済新聞電子版 2012年4月2日)
    とも語っている。

    ここで感じ取れるのは彼女の「自分を見きわめる力」である。助川さんは「メタ認知」力と言っている。自分がいま何をしていて、どのくらいの力量があるのか、それを客観的に見定める力だ。自分の姿をもう一人の自分が見ているような感覚、とでも言えばいいだろうか。

    成功している人は分野を問わず、この力が優れているといわれる。それはそうだろう、自分を過大評価したり過小評価したりしていては、何事もうまくはいかない。「本気を出せばできる」という人はいつまでたっても本気を出さない。いま自分ができるベストを追及することが成功への道筋だと思う。

    さらに気づくのは彼女の目線は内側、つまり自分方向には向いていないことだ。自分がしたいこと、本当の自分探しのようなことはしない。周囲の期待に応え、ファンを喜ばせる。アイドルを仕事としてとらえていた彼女にとっては自然な発想だっただろうが、当時の一般の風潮は違っていた。上野千鶴子の『「私」探しゲーム』が解き明かしたように、「本当の私」を追い求めるのが正しいとされていた。(今のその風潮は残っているが)。だが彼女は自らを「アイドル・小泉今日子」という商品、素材としてとらえ、それをどう使えば、他人に貢献できるのか考えていたのである。

    メタ認知の話に通じることだが、こうして仕事を続けていけば、自分の価値を正確に見積もることができるようになる。さらにチームで動く仕事において(映画や舞台など)、全体を見通して、自分の役割をわきまえて、前に出るところ、後ろに下がるところを正確に見極めることができるようになる。これは完全なプロデューサー視点である。(その意味で、50歳を期にプロジェクト「明後日」を立ち上げ、そのプロデュースを行っていくのは楽しみなニュースである。)

    バブル世代の中には、自分の価値を証明するために、周囲の称賛を集めようとした(している)人がいる。しかしそうした人の多くは、現在、称賛を得られていないのではないか。それは「相手がしてほしいこと」をしていないからだ。ナチュラルに振る舞えばそれで評価や称賛が得られた若いころとは違うのだ。我々くらいの歳になれば、自己重要感を持ち自分探しをしている場合ではないと思う。残りの人生のほうが少ないのだ。いかに他者のために自分ができるベストなことを見つけて、それを実行していくか。それが人生に足跡をのこすことだと僕は思う。

    もうひとつ、小泉今日子が変化し続けることができた秘訣がある。助川さんの言葉を借りれば
    「言われたとおりにやってみるが、言いなりにはならない」
    との姿勢だ。

    デビュー当時、正統派の昭和的なアイドルを演じていた。大人がその路線を引いたからだ。だが、1年やってみて「違う」と感じれば、自らの意志で髪をバッサリと切りイメージチェンジをはかる。その後も、多くのブレーンの意見を聞き様々なことに挑戦していく。ハウスや過激なグラビア撮影など。本人が受け入れようとしているから、周囲の提案も活性化することになったのだろう。

    やったことがないことをできないと言ってしまえば成長はない。とりあえず言われたようにやってみる。そのうえで判断し、自分に向かないと思えばやめる。成長したければこうした姿勢は欠かせない。助川さんはこうまとめている。

    他者からの提言を受け入れられる素直さと、勧められたことにどこまで従うかの判断力。その両方を併せ持つことは、分野にかかわらない「成功への秘訣」です。小泉今日子は、その点において際立っていました。(p79)


    この本の本来の趣旨は、小泉今日子を軸に据えて、現代の「女の子」変遷史を描くことにあった。しかし、時代時代の「女の子」、―例えばそれはオリーブ少女であったり、美魔女であったり、「赤文字系」雑誌読者であったり-と小泉今日子を対比することで、彼女の生き方そのものを解きあかそうとする内容になったと思う。

    最終章は「小泉今日子に学ぶ7ヵ条」である。彼女の生き方がすべて正しいわけでもない。それに人には向き不向きもある。しかし、50歳にして色褪せない生き方をしている小泉今日子から学ぶことはあるはずだ。それは同世代である僕だけでなく、次に続いてくる世代の人たちにもあると信じている。