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ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく/堀江貴文




(2013年12月24日記)
今年の日本プロ野球は、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になりました。多くの感動を残して。僕自身、野球を、日本シリーズをこんなに真剣に見たのはいつ以来だろう?と思いながら観戦していました。

そしてゴールデンイーグルスの日本一が決まった時、ふっと思ったのです。
「いま、この優勝に感動している人は、多少でも堀江さんに感謝しないといけないな」と。
2004年、彼が近鉄バファローズの買収に名乗りを上げなければ、いまごろ日本プロ野球は、1リーグ・8球団になっていただろうし、もちろん仙台に球団が生まれるなんてことはあり得なかったと思ったからです。

そう思ったら、この本を素直に読んでみようという気持ちになりました。編集の方々の豪華さもあり、発売前から話題になっていたのはわかっていましたが、そのため逆に、どうも話題の乗せられているような気がして素直に手に取ることができなかったのです。

僕はもともと堀江さんにそれほど悪い感情を持っていたわけではありません。根は良い人、普通の人だと思っていました。ただ、どうしてこの人はこれほど「偽悪的」に振る舞うのだろう、という疑問を常に持っていました。この本を読めばその疑問も解けるかもしれない、そう思って読み始めました。

<目次>
第0章 それでも僕は働きたい
第1章 働きなさい、と母は言った──仕事との出会い
第2章 仕事を選び、自分を選ぶ──迷い、そして選択
第3章 カネのために働くのか?──「もらう」から「稼ぐ」へ
第4章 自立の先にあるつながり──孤独と向き合う強さ
第5章 僕が働くほんとうの理由──未来には希望しかない
おわりに 

この本で最初に衝撃的なのは「帯」です。堀江さんが「ネクタイ」をしている姿が写っています。あれほどネクタイ嫌いだった人が(笑)

ゼロ2


これを売るための戦略だとという人もいるでしょう、というか、戦略なんですよ、きっと。ただ本をたくさん売りたいというのはたくさんの人に「読んでもらいたい」ということです。別に堀江さんは本が売れないと生活に困るということもないでしょう。そう考えれば、相当な決意を持ってこの本を書かれたと思えます。明確に「伝えたい」何かがあるのだと予感させてくれる、そんな「帯」だと思います。

読み進めていくと、本当に「伝いたい」という強い想いを持って、ある意味、赤裸々に書かれているという印象を受けました。
この本を象徴する一文はここだと思います。

ゼロの自分にイチを足そう。掛け算をめざさず、足し算からはじめよう。(p33)

成果を上げるために大切なことは「掛け算」だと強調していた堀江さんがこう言っています。それは決して考えを変えたということではありません。いままで、掛け算の前提になることを「そんなの言わなくてもわかるだろ」とばかり省略してきていたのです。だってゼロに何を掛けてもゼロなわけですから。

今回、その前提から書いているということは、本当に伝えたいことがある、だから言葉を尽くして説明していきたい、という決意の表れだと思いました。

それでは「足し算」とは何なのか。それはおそらく「といかく動くこと」だろうと思います。

経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく(p95)
チャンスについて語るとき、僕はよく昔話の『桃太郎』を例に挙げる。川で洗濯をしていたおばあさんは、大きな桃に飛びついた。奇妙な桃だと怖がらず、洗濯中だと無視もせず、とにもかくにも飛びついた。鬼退治の物語は、おばあさんが桃に飛びつくところからはじまるのだ。(p100)

「チャンスに飛びつく力=人としてのノリのよさ」が大切だと言われています。動いて、経験を積み重ね、自信をつけることで成功に近づくのだということです。

そう言われても(昔の僕のように)動けない人はたくさんいます。その理由は、おそらくは「失敗が怖い」から、だと思いまいます。少なくとも僕はそうでした。そのことについても語ってくれています。

失敗なんて恐れる必要はない。僕らにできる失敗なんて、たかがしれている。たとえ最大級の失敗が襲ってきてもマイナスにはならず、ただゼロに戻るだけだ。それは怖いことでもなんでもない。 (p201)

「取り返しのつかないことになったらどうするんだ!?」
という人がよくいます。僕もそう考えていた時期もありますが、しかしその後の経験から、命にかかわるようなことを除けば、「取り返しのつかない」ことなどほとんどないと思うようになりました。

こんなことを言うとなんですが、借金だってチャラにできます。自己破産はマイナスではない、まさにゼロに戻るだけです。それは怖いことでもなんでもない、とまで言い切るほどの自信は僕にはありませんが、自分がしっかりしていて、支えてくれる仲間がいれば、またスタートすれば済むことです。

ゴールから逆算して考える人は、この「振出しに戻る」ことが嫌なのだろうと思います。近づいたはずのゴールがまた遠のくわけですから。だからこそ、僕は逆算思考を捨てました。人生、そう予定通りには進みません。

僕は自分の老後はおろか、たとえば10年後や20年後の自分について、一切の計画を持っていないし、不安もない。 (p211)
人は、本質的に怠け者だ。長期的で大きな目標を掲げると、迷いや気のゆるみが生じて、うまく没頭できなくなる。そこで「今日という1日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標に向かって猛ダッシュしていくのである。(p130)

まずは目の前のことに全力を尽くすこと。その積み上げした「成功」に近づく道はないのだと思います。

そうすると「仕事のやりがいが云々」と言い出す人もいると思います。やりたいこと、好きなことを仕事にすることが大切だという人も多いとは思います。僕も若いころはそう思ってました。しかし、本当にそうなのでしょうか。

やりがいとは「見つける」ものではなく自らの手で「つくる」ものだ。そして、どんな仕事であっても、そこにやりがいを見出すことができるのだ。(p123)

こんなかっこいいこと、勤め人をしたことがない堀江さんに言われたくない、と思う人もいるでしょう。だけど、ちょっと考えてほしい、彼は「刑務所」の中で仕事をしてきた人だということを。本書の中に書かれていますが、刑務所の中で彼に与えられた仕事は介護衛生係、高齢受刑者や身障受刑者の世話をする仕事です。それは「積極的」やりたい仕事だったわけはありません。それでもやっていくうちに、いろいろなコツやテクニックを覚えるのは楽しかったと言っています。そうしてやりがいを見出したのだと。

確かに難しいことだと思います。僕もいまでも「えっ~これ俺がやる仕事かよ」と思うことがないわけではありません。でも、それではダメだという意識も常に働くようになりました。目の前のやらなくてはいけないことを棚に上げて、あるいはそれをいやいややっても、その先にやりがいのある仕事はやってこない、ということをさすがに経験的に知ってしまったので。目の前のことに立ち向かえない奴が、1年後、3年後を語るのはおこがましい、と思っています。


最後に、お金のことに触れておきます。堀江さんの守銭奴のように思っている人もいるのでしょうが、それは違うと僕は考えています。それはマスコミの印象操作に騙されているというのもあると思いますが、それ以上に、投資だのM&Aだのと言うは胡散臭い、と思っている人が多いからではないかと推測しています。

でも、本当にそうなのでしょうか。貯金が一番の美徳なのでしょうか。

貯金に励み、わが子や教え子たちにまで貯金を奨励する人たちは、面倒なことを考えたくないだけなのである。
お金のことも、将来のことも、自分自身の生き方も、なにひとつ真剣に考えたくない。自分を信じられず、他人を信じられず、お金しか信じるものがなく、「いざというときのため」に貯金をし、いざとなったらカネで解決しようとしてしている。そんな態度が本当の美徳と呼べるのだろうか? (p142)

アメリカ人は平均で年間家計収入の3%の寄付しますが、日本人は0.08%です。 具体的な金額で言うと、3・11のあった2011年に成人一人当たりの寄付額は6,551円。そしてこの金額ですら平年の倍の額なのです。つまり普通の年は3,000円ちょっとだ、ということです。

寄付はひとつの象徴ですが、自己投資も他己投資もしない、ひたすら、老後のため、万が一のために貯金をすることが本当に美徳なのでしょうか。お金を使わなければ経済はまわらず、経済が回らなければ社会をまわすことは、非常に困難になります。

貯蓄を過度に推奨する人は、社会はまわらなくても自分さえよければいい、という考えなのではないかと思ってしまいます。

この本の中で、「お金とは『信用』を数値化したものである」という一節があります。信用でお金を借りることは出来ます。それはある意味、信用をベースに時間(そのお金を自分で貯めるまでの時間)を買っていることでもあります。しかし、お金で信用は買えません。

お金に対して不浄なものであるかのように考えるのはやめたほうがいい。お金はきれいでも汚くもない。「使い方」がきれいか汚いかだけの話だと思います。そもそも不浄なものを貯蓄するのなら、貯めている人も不浄だ、ということになります。

大切なことは、お金をどう使うか、だと思います。貯蓄に励んでいる人こそ「いったい、何に使うために貯めているんだ?」と自問してみる必要があると思います。
(2013年12月24日記)

(追記)
読み返すとかなり饒舌な文章になっていて恥ずかしいのですが、読んだ時点での僕の中の熱気は全部詰まっている感じがします。
後にも先にも、堀江貴文さんの書籍はこれしか読んでいません。一瞬の出会いだったようにも思いますが、このタイミングで読めて本当によかったと思っている本です。