
書いて生きていく プロ文章論/上阪徹
2010年の年末に出た本で、評判が高い本でもあるので御存知方も多いと思います。 僕も、約1年前に購入して、積読になっていました(苦笑)今回、読んでみて、
「もっと早く読めば良かったじゃん」
と思ってしまいました(苦笑)
「プロの文章論」と題されていますが、あとがきに
『当初は「文章に関する技術論」を求めておられていたのですが、私の方からの勝手な提案に対して、このようは形の書籍にさせていただいたのでした』
とある通り、文章を書く技術論ではなく、心構えみたいなものが書かれています。
いえ、文章を書く上だけでなく、コミュニケーション、プロとして仕事への取り組み方の心得が書かれています。
<目次>
はじめに
第1章 その文章は誰が読む?
第2章 伝わる文章はここが違う
第3章 プロ文章家の心得
第4章 「話す」よりも「聞く」のが大事
第5章 プロの取材はこう行う
第6章 「書く仕事」のキャリア作り
第7章 「職業文章家」として生きる
おわりに
前半は文章を書く上での心構え、後半は、プロとして文章を書くために必要なことを通して、仕事への取り組みの心得が書かれています。
ひとつひとつの要素は、パッと見ると自己啓発系の本を数冊でも読んだことのある方なら当たり前に思えるはずです。でも、その当たり前のことができているかは別問題。 ひとつひとつ、自分は出来ているのか、出来ていないとしたらなぜ出来ないのか、僕には不要のことなのか、といったことを考えながら読みました。
僕は、世間の常識や正義の逆を言って、人々の神経を逆撫ですることで問題提起をする、という手法はありだと思っています。だから不快にさせてしまうこともありだと思います。穏やかに言ったのでは伝わらないことは「あえて」波風を立てるような言い方・書き方をしても、時と場合によってはいい、と考えています。
ただ、これはかなりの高等テクニック。僕ごときが使うとたいてい失敗します(苦笑)
これをうまくやれるかどうかを別けるには「(批判の)対象へのそれなりのリスペクト 」なのではないかと感じました。人格否定をするわけのではなく、問題にする部分を切り分けて提起をする。批判する対象がいるからこそ批判が出来るということがわかっているのだと思います。
これを僕がやるとついエスカレートして関係ないことまで否定してしまうことになります。こうなるともはや批判ではない。ただの悪口ですね。
本来、批判は攻撃的な振る舞いではないし、梯子外しのような行為でもないのです。これはダメだな、と反省しきりです。どんな発言をするにしても
「対象があるからこそ存在できる」
ということは忘れずにいたい。
僕自身、「自分の進みたい方向をあらかじめ明確にする」ということをしてこなかったので、この部分はとても共感しました。それで僕の人生がうまくわたって来られたかは別問題ですが(苦笑)
一時期は、観光業界で生きていこうと思ったことがあります。僕のキャリアの根っこは(ほとんどすべて)東北と関わったホテルと旅行案内業の中で作ってきました。でも、最初からそんなことを考えていたわけではありません。
新卒でゼネコンに入社して、3年目の6月にホテルに出向させられたことがきっかけです。
その後、その業界を離れて、数年、漂流して、今の会社に入ったのも偶然です。別に印刷業でなにかをしたかったわけではないです。今、印刷業界でやりたいと思っていること、心中でミッションだと思っていることは、今の会社で働く中で育ってきたことです。
以前、田島弓子さんに「キャリア・ドリフト」という考え方を教えていただきました。節目節目ではビジョンを考えるけど、その間は流されてみる、流されている間に新しい発見があるかもしれない、ということです。この考え方、僕は無意識に従ってきたように思います。
それに、日々少しでも成長が出来ているとするならば、いま描くことができるビジョンより明日描くビジョンのほうが素晴らしい可能性が高いと思っています。そういう意味でも、この考え方には共感します。
激しく反省してしまったことと、共感したことのふたつの項目について書いてみました。読む人によってどこが響くのか、どこから学べるのかは違ってくると思います。
文章を書く、という目的だけではなく、人と向きあうこと、人と関わることについて考えている人に読んで欲しいと思います。
きっと参考になることがあるはずです。
(追記)
たぶん、次に紹介することになる『職業、ブックライター。 毎月1冊10万字書く私の方法
』
とあわせて再読していました。仕事人としての基本を確認できる本です。
ひとつひとつの要素は、パッと見ると自己啓発系の本を数冊でも読んだことのある方なら当たり前に思えるはずです。でも、その当たり前のことができているかは別問題。 ひとつひとつ、自分は出来ているのか、出来ていないとしたらなぜ出来ないのか、僕には不要のことなのか、といったことを考えながら読みました。
誰かを不快にさせていませんか?(p102)
もちろん、批評や批判をするべきではない、と言っているわけではありません。批評や批判をする側は、対象があるからこそ存在できる文章なのだということを認識し、少なくとも対象へのそれなりのリスペクトがあってしかるべきだと思うのです。(p103)
僕は、世間の常識や正義の逆を言って、人々の神経を逆撫ですることで問題提起をする、という手法はありだと思っています。だから不快にさせてしまうこともありだと思います。穏やかに言ったのでは伝わらないことは「あえて」波風を立てるような言い方・書き方をしても、時と場合によってはいい、と考えています。
ただ、これはかなりの高等テクニック。僕ごときが使うとたいてい失敗します(苦笑)
これをうまくやれるかどうかを別けるには「(批判の)対象へのそれなりのリスペクト 」なのではないかと感じました。人格否定をするわけのではなく、問題にする部分を切り分けて提起をする。批判する対象がいるからこそ批判が出来るということがわかっているのだと思います。
これを僕がやるとついエスカレートして関係ないことまで否定してしまうことになります。こうなるともはや批判ではない。ただの悪口ですね。
本来、批判は攻撃的な振る舞いではないし、梯子外しのような行為でもないのです。これはダメだな、と反省しきりです。どんな発言をするにしても
「対象があるからこそ存在できる」
ということは忘れずにいたい。
自分の可能性を狭めていませんか?(p257)
自分の進みたい方向をあらかじめ明確にするのもひとつの方法かもしれません。でも私は、運命に委ねてみる、というのも面白いと思います。(p259)
僕自身、「自分の進みたい方向をあらかじめ明確にする」ということをしてこなかったので、この部分はとても共感しました。それで僕の人生がうまくわたって来られたかは別問題ですが(苦笑)
一時期は、観光業界で生きていこうと思ったことがあります。僕のキャリアの根っこは(ほとんどすべて)東北と関わったホテルと旅行案内業の中で作ってきました。でも、最初からそんなことを考えていたわけではありません。
新卒でゼネコンに入社して、3年目の6月にホテルに出向させられたことがきっかけです。
その後、その業界を離れて、数年、漂流して、今の会社に入ったのも偶然です。別に印刷業でなにかをしたかったわけではないです。今、印刷業界でやりたいと思っていること、心中でミッションだと思っていることは、今の会社で働く中で育ってきたことです。
以前、田島弓子さんに「キャリア・ドリフト」という考え方を教えていただきました。節目節目ではビジョンを考えるけど、その間は流されてみる、流されている間に新しい発見があるかもしれない、ということです。この考え方、僕は無意識に従ってきたように思います。
それに、日々少しでも成長が出来ているとするならば、いま描くことができるビジョンより明日描くビジョンのほうが素晴らしい可能性が高いと思っています。そういう意味でも、この考え方には共感します。
激しく反省してしまったことと、共感したことのふたつの項目について書いてみました。読む人によってどこが響くのか、どこから学べるのかは違ってくると思います。
文章を書く、という目的だけではなく、人と向きあうこと、人と関わることについて考えている人に読んで欲しいと思います。
きっと参考になることがあるはずです。
(2012年12月7日記)
(追記)
たぶん、次に紹介することになる『職業、ブックライター。 毎月1冊10万字書く私の方法