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裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける/山口絵理子




裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ 』と同じように単行本も読んでいます。でも、忘れていることが多かった。特にネパールの件は「ああ、そうだった」と思いながら読みました。

<目次>
第1章 情熱の先にあるもの
第2章 バングラデシュ、試練をバネにして
第3章 チームマザーハウスの仲間たち
第4章 そして第2の国ネパールへ
第5章 ネパール、絶望と再生の果てに
エピローグ Keep Walking
ネパールの今-文庫版のあとがきにかえて

入谷の旧本店(直営一号店)のオープンから、バングラデシュでの様々なトラブルと直営工場を作るまで、そして、マザーハウスの仲間たちのこと。前半はそんなことが書かれています。そして、その部分は、ほぼ覚えていました。

ところが後半の、ネパールへの進出についてはなぜか覚えていないことが多かったです。現状、ネパールでどんな事業をされているのか、昨年の現地での大地震の際にどんな対応をしたのか、そうしてことはわかっていたので、なんとなくネパールはバングラデシュほどの苦労はなく事業をたちあげたような気になっていました。

読み返してみて、全然そんなことはなかった。ある意味、バングラデシュの立ち上げよりも困難なことがあったことを思い出しました。

ネパールにはバングラデシュとは違った意味で、様々な問題がありました。周囲の人の多くは、ビジネスをするのは危険すぎる、撤退すべきだと助言していました。純粋にビジネスとして考えればそれ以外の選択肢はないと思える状況が綴られています。しかし、山口さんは、ギリギリまでネパールでの事業にこだわります。

ビジネス的にリスクがありすぎる国なのは分かっている。しかし、バングラデシュだってそうだった。非常事態宣言の時、テロの時、それでもバッグを作り続けた自分がいた。なのに、今の私は、そんな自分は過去の自分、会社は大きくなったのだし、もう自分だけのものじゃない、というもっともらしい理由を言い訳にして、この国を去ろうとする。(p176)

バングラデシュはひとりで立ち上げた事業です。そこにさまざまな葛藤があったとしても、一人の責任として処理することもできたでしょう。しかし、ネパールに行ったときは会社も大きくなり始めていました。日本とバングラデシュに守るべき社員も増えてきていました。そんな中でネパールから撤退しないという選択をするのは、並大抵の覚悟ではできないと思います。

もちろん、経営者として甘い、という指摘もあり得るでしょう。でも、会社には理念があります。金儲けのために起業したわけではない。そして集まってきたスタッフもその理念に共鳴した人たちです。自分たちの想いを曲げることはしたくないと考えるのは、当然だと思います。ただし、思うことと実行することは別です。いろんな考えがあるとは思いますが、僕は想いに忠実だった山口さんの判断は正しいと思いたい。

結果的にネパールの立ち上げは不完全なものになりました。ネパールにバッグを生産することはできず、ネパールで生地を作り、それをインドに送ってインドで生産する、という方式をとることになります。

これを失敗とみることもできるでしょう。やらなきゃよかったとも言えるでしょう。「made in Nepal」 でない以上、理念を曲げたとらえられることもあるでしょう。

実際、株主でありアドバイザーでもある人から、そのような指摘をされているようです。しかし、日本を預かっていた副社長の山崎さんはこう言ったそうです。

「けれども、これは単純な失敗と受けとていないんです。僕たちにとっては通過点だったのかもしれない。僕たちはこれで学んだんだ。このあとどう動くかなんだと思うんです。僕は山口を信じている」(p254)

ここまで言ってもらえるビジネスパートナーがいるというのはうらやましくもあります。でもそれは、損得勘定を超えた、想いや哲学を共有しているからこその信頼だと思います。

そしていま、ネパール事業は継続され、黒字化しています。ネパールならではの素材、作り方、生産パートナーの強み、販売サイドでのお客様からの声などを総合したうえで、「ストール」に特化して今の状態まで持ってくることができました。

この本書でも書かれているバッグやお洋服など、ネパールで挑戦したことは山ほどありました。しかし、いま思えば、それらは私たちの想いがとても先行していて、現場の強みやモノ作りとしての現実的な話が何も伴っていないものでした。(p279)

本書の5章を読んだとき、山口さんの言葉をきつく感じる人もいるかもしれません。ネパールを見下しているんではないか、と考える人もいるのかもしれません。でも、もしそれが本当なら、ネパール事業を継続していなかったと僕は思います。それは起業の時の想いを今も大切にして経営している証だと思うのです。

マザーハウスは、インドネシアでのジュエリーの生産を始めました。これからも途上国の可能性を信じて一つひとつ新しい国に進出していくのだと思います。まだ起業して10年、細かく言えば至らないところもあるのかもしれません。それでも、今の想いのまま、事業を継続していくのであれば、僕はどこまでもマザーハウスを応援し続けたいと思います。




裸でも生きる2