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セゾン文化は何を夢みた/永江朗



新卒で就活をしているとき、セゾングループを受けていました。確か、西洋環境開発だったような……あっさり落とされましたが(苦笑)
僕らの世代、もう一世代上までにとって、「セゾン」は特別な意味を帯びる言葉でした。

<目次>
セゾン系にはじまる―一九八一年春に私が経験したこと
1 アール・ヴィヴァン―芦野公昭に訊いて思い出したこと
2 リブロ―中村文孝を訪ねて気づいたこと
3 セゾン美術館―難波英夫に聞いて知ったこと
4 無印良品―小池一子と会って思ったこと
5 セゾンの子として―小沼純一と話して感じたこと
6 西武百貨店文化事業部―紀国憲一を取材して見つけたこと
7 セゾン文化とは何だったのか―堤清二と軽井沢で再会して分かったこと
時代精神の根據地として(堤清二)


西武美術館のミュージアム・ショップで始まり、セゾン現代美術館で終わっています。セゾンが手掛けて「現代アート」が全体を貫く重要なテーマになっています。そちらの方面に僕は疎いので、そのあたりについて何か書くことはできません。

しかし、リブロと無印良品には思い入れがあります。これにParcoを加えれば、僕の中の「セゾン文化」ができあがります。(この本は「西武百貨店文化事業部」にポイントを絞っているので、Parcoについては触れられていません。)

高校時代、糸井重里のコピーを読み、「東京に行けば『おいしい生活』ができるんだ」と憧れていました。大学に入学して、初めてリブロに行ったときの印象も強烈でした。浪人時代志望していた文学系から、一転、社会科学系に進学して、ニューアカ(ニューアカデミズム)ブームの渦中に迷い込んでいた僕としては、そういう類の本が豊富にあるということで足繁く通いました。いま考えると、本の配置も他店とは違っていたように思います。後に、書店の棚について「リブロ以前/リブロ以後」という言い方をするのだと知りました。

そして無印良品。「なんとなくクリスタル」がベストセラーになり、バブル絶頂を迎え、ブランド品が街にあふれ始めた時期、そうはいってもお坊ちゃま学校のように金があるわけではなかった我々にとって、「ノーブランド」で「良品」(それを「セゾン」が裏書してくれている)品々は、愛用品になっていました。バブルの最先端で踊ってもいいはずの(実際、踊った部分もあったとおもいますが)セゾンが、こうしたコンセプトで店を展開してくれるのは衝撃的ですらありました。

しかし、我々の就職とともにバブルは崩壊。それと歩調を合わせて、セゾングループの衰退・解体が始まります。ですから、セゾンが行った文化事業は、「バブルに踊った」「堤清二の道楽」という印象を与えている部分があります。

本当にそうなのか、僕は疑問に思ってきました。父親である堤康次郎が築き上げた西武グループのほとんどは、弟である義明が継いでいます。清二はグループ内のお荷物のような、赤字で倒産寸前とまでいわれていた百貨店だけを継ぎ、時間をかけて大きくしていきました。また、彼の思想信条から考えて、単に「金儲け」のためにバブルに踊ったとは思えませんでした。なんらかの想いがあって、文化事業に乗り出したのだと思ったのです。

本書のインタビューでいくつかの理由が示唆されています。僕が印象に残ったのはそのうちの二点でした。

ひとつは「西武鉄道グループから距離をおく、できれば独立する」ことを目指していたことです。それを兄弟喧嘩というのは簡単です。しかし清二は、「文化が違う」と理由づけています。象徴的に示されているのは、「鉄道グループは、トップが視察に行くと最敬礼で迎えないとビンタを食らう」ということ。こんな軍隊のようなところといっしょにやってたら醜い目にあう、と思ったといっています。

実は僕には思い当たる節があります。大学時代2年間、夏休みを利用して軽井沢プリンスホテルでアルバイトをしていました。普段はとても対応もいいし、バイトの面倒見もいい人たちでしたが、堤義明が視察に来る日は別人でした。義明しか目に入らないような感じ。極端に言うと、お客様より義明が優先でした。都内のシティホテルでもバイトをしていた僕としては、「なんだかなあ」と思ったことを覚えています。ですから、清二の指摘はおそらく本当だと思えるのです。

もうひとつは、「消費者として自立することは、社会を構成する人間として自立することにつながる」と考えっていたという点です。もっと直接的に言えば、「自立した有権者が育たない限り、民主主義は空洞化する。義理人情が渦巻く日本の中で、自立した有権者を作り出すためには、消費の選択を通してしかできないのではないか」と考えたということです。

こうした動機が、セゾンの文化事業のモチベートになっています。結果的に上手くはいきませんでした。それは間違いない。しかし、彼の施策でなく動機に、もう一度着目してみる必要があると考えています。そうした時代状況にあるのではないか、と思うのです。

セゾングループは解体し、現在、西武百貨店はそごうと統合し、セブン&アイホールディングスの傘下にいます。別にセブンイレブンに恨みはないし、愛用もしていますが、彼らに同じような問題意識を持ってほしいと願っても、それは無理な注文です。根本的に考え方が違います。リブロを池袋から撤退させた経緯を聞くにつけ、期待する方が間違っていると思いました。

だからこそ、志においては、堤清二を引き継ぐ財界人が生まれてきてい欲しいと願っています。念のために言っておきますが、志・動機であって、それが即ち、「文化事業をやれ、という話にはなりません。形は今の時代にあわせてやっていくしかない。しかし、消費を通して、「自立した人間」を生み出していこうと考える経営者が出てこないと、本当の意味ので成熟して社会はやってこないように思います。

解体してしまった旧セゾングループの中で、現在、最も輝いているのは「無印良品」であることは間違いありません。本書に、次のような一節があります。

無印良品の棚には、セゾン文化の精神がみんな詰まっている、と言うのは大げさであり評価のしすぎだろうか。でも私はそう信じたい。(p136)

無印が次に何を仕掛けてくるか、いつも楽しみにしています。だから、僕もそう信じています。